保護ねこおやじのブログ

正月に発症した「くも膜下出血」の闘病日誌

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広告:くも膜下出血と水頭症

ウィキペディアくも膜下出血のページによると、最初の出血で3分の1が死亡する。さらに血管攣縮や再出血の影響が加わり、4週間以内では約半数が死亡するといわれている。また救命できても後遺症が残る例が多く、完全に治癒する確率はクモ膜下出血を起こした人の中で2割と低い、とある。

通常、病院に搬送され手術したあと1週間程度集中治療室に、その後大部屋に移って2週間か1か月以内くらいにリハビリ病院に転院する。しかし私は急性病院に4か月間入院していた。くも膜下出血の合併症である正常圧水頭症を発症し、その対応手術であるシャント手術の実施に時間を要していたためである。水頭症くも膜下出血でよく併発される症状であるため、私の経験談を紹介する。

 

正常な人の脳は髄液と呼ばれる人体で一番きれいな水で満たされている。髄液は一般に脳漿として知られている。脳に運ばれた血液から髄液が作られるが、やがて体内に吸収される。この髄液循環の機構に異常が発生し、脳に水がたまる代表的な症状が水頭症である。脳に水がたまると脳が圧迫されるため、次の症状が発生する。

・歩行障害(不安定なバランス)

・尿失禁

認知症の傾向

水頭症を発症すると髄液を吸収する機構が働かないため、チューブとバルーンを装着して髄液をバルーンに排出していた。排出がうまくいかず、脳内に水がたまり始めると意識が混濁し、意味不明な言葉を発していたようである。IT関係の仕事をしていたため、良くデータベースと言ったり、キーボードをたたくようなしぐさをしていたそうだ。

この間暴れることもあり、手にミントをはめられた上に両手を縛られ、ベッドに拘束されていた時期もあった。せん妄の時期でもあり、睡眠中いくつかの骨董無形な夢を見ていたことをおぼろげに記憶している。

・新幹線の鼻の丸いところに部屋があり、そこに縛られて宇都宮(当時の出張先)に移動する実験に参加させられている夢

キリスト教系の病院で行われた葬式に、拘束された状態で参加させられた夢

・海の近くの病院を転々と転院させられた夢

など

 

髄液を体外のバルーンに排出するのではなく、腹部に排出し、腹部で自然に吸収させるための手術がシャント手術である。シャントとはもともと「導線でつないで作った回路」を意味する言葉で、心臓のシャント手術では血液 が本来通るべき 血管 と別のルートを流れる状態を作る手術で、脳外科のシャント手術では髄液を流すための手術であり、次の3つの方式がある。

・脳室と腹腔とを繋ぐように皮下にチューブを通す脳室―腹腔短絡術(V-P shunt)

脳室と心房とを繋ぐ脳室―心房短絡術(V-A shunt)

・腰椎硬膜下腔と腹腔とを繋ぐ腰椎―腹腔短絡術(L-P shunt)

私が最初に行ったのはL-Pシャントで、頭部よりも腹部の手術の方がリスクが少ないという判断であった。退院後、腰椎に刺した針が曲がってしまい、脳に水がたまったため、V-P shuntで再手術を行い、1か月ほど再入院した。この顛末はまた別の記事で紹介する。

 

通常水頭症発症から長くても2週間程度でシャント手術が行われる。バルーンに排出された髄液を調べたところ、髄膜炎を発症しているとのことで、予定していた手術が見送られた。当時病院で髄膜炎が流行っており、その状態で手術を行うと脳機能に致命的な障害が与えられるリスクがあるとの判断である。事実当時別の患者さんが手術を強行したところ感染してしまい、知能レベルが下がったという話をうわさで聞いた。

点滴に抗生剤を注入し、菌がいなくなったことを確認したうえで手術を行うことになった。なかなか菌を排除することができず、度重なる見送りが続いた。早く手術を行って退院したかった私は、延期の度に落ち込んだ気持ちになっていた。長い抗菌の末、水頭症発症から3か月たってやっと手術を行うことができた。

手術は成功し、2週間後に急性病院を退院し、リハビリ病院に転院することができた。リハビリ病院には2か月ほど入院した。急性病院で歩行障害の原因がわからないままリハビリ病院に転院し、歩行と右腕・肩の痛みの改善を目的にリハビリを進めた。別記事【くも膜下出血の後遺症】もご参照いただきたい。 

何とか杖を使って歩けるようになった。家の中では杖なしでも行動できるようになった。急性病院・リハビリ病院の療法士の先生には感謝してもしきれない。本当にありがとうございました。